こんにちは、「にぎわす.com」のコブタです^^
今回は、【整形に取りつかれた心の闇を持つ人】というテーマで、
1980年代に世界中に大旋風を巻き起こしたイギリスのダンステクノ系ロックバンド
『Dead or Alive(デッド・オア・アライブ)』の
超美形ボーカル・Pete Burns(ピート・バーンズ)
にフォーカスしてみたいと思います。
ビジュアル系バンドの中でも、群を抜いて美しかったヴォーカル:ピートの2016年に迫ってみます。
●●● 2016年10月23日、ピート・バーンズさんがお亡くなりになりました ●●●
心より追悼すると同時に、
《ピート・バーンズ 死亡の理由や本当の原因など》の記事を
追記しておきましたので、ご覧下さい。
Pete Burns(ピート・バーンズ)公式プロフィール
~公式ホームページと宣材データ、出演番組より~
バンド名:
Dead or Alive(デッド・オア・アライヴ)
活動分野:
ロック・テクノ・ユーロ・ダンスバンド
結成年: 1980~2011年
==============
芸名:
Pete Burns(ピート・バーンズ)
名前:
Peter Jozzeppi Burns
(ピーター・ジョゼッピ・バーンズ)
通称: Pete(ピート)
生年月日: 1959年8月5日(56歳)
出身地: イギリス・ウィラル
活動分野:
ヴォーカル、ソングライター、
作家・作詞家、TVパーソナリティ
身長: 180㎝
Dead or Alive(デッド・オア・アライブとは)
1980年結成の
Dead or Aliveですね!
日本では1990年代くらいにならないと、ビジュアル系ブームは来ないのですが、その前フリ状態で、空前のディスコブームがやってくる!1980年代といえば、イギリスはビジュアル系バンド戦国時代ですね^^
その波にぴったりマッチしてやって来たのが、イギリスのバンド・Dead or Alive(デッド・オア・アライブ)でした!
全世界ではアルバム累計2000万枚を売り上げた!
築いた富は何十億円の世界、そして名声も手に入れました!
でもそんな大人気バンド、デッド・オア・アライブのCDの販権は、もはや彼らにはなく、もはやそんなバンドももう存在しません。
それどころか、バンドを作った張本人であるピート・バーンズさん本人ですら、とんでもない姿になっています。
どうしてそんな事になってしまったのでしょうか?!
ちょっとフォーカスしてみたいと思います。
ピート・バーンズの生い立ちと、
デッド・オア・アライブを作るまで
ドイツで生まれたという説と、イギリスで生まれたという説と2つあるのですが、イギリスの方が有力なようです^^
世は二次大戦から10年が経過する頃。
ドイツ生まれのユダヤ人のお母様と、リヴァプール出身のイギリス人兵士とお父様との間に、生まれたピート。
なんでもナチスの影響が強く、ユダヤ人に対する迫害もまだまだ残っていた時代、お母様はそこから逃れてウィーンに居た時、10歳程若いお父様と知り合ったとの事。
ピートが生まれたのはお母さんが47歳、お父さんが37歳の時。
慣れないイギリスでの生活で、お母様はお酒に溺れてしまうようになりますが、父は働き者ではあったものの、妻の堕落した生活は受け入れがたく、家庭の事は見放していたような状態であったといい、ピートがお母様の世話をしていたという。
14歳くらいで、学校に行かなくなり、レコード店などでバイト。
ロンドンの美容院で働き始めると、そこで後の妻であり、バンドメンバーのヘアスタイルから、お化粧まで担当してくれる事になる、リンと知り合い結婚する。
後に、ピートは
「リンと結婚した日が、人生で一番幸せな日だった。
ただ一つ式場の人が『どっちが嫁さんだ?』と下らない冗談を飛ばした事以外は!」
と述べている。(マイケルと出会う前)
その後、ゴシック系路線のバンド『Nightmares in Wax(ナイトメアズ・イン・ワックス)』として活動を始めるも、何度かメンバーを替え、1980年にDead or Aliveを結成。
Dead or Aliveを結成してから
ナイトメア時代と同じ路線のまま活動を続けていたが、ストック・エイトキン・ウォーターマンチームのプロデュース路線にしてから、普通にヒットを飛ばすようになる。
そして彼らの存在を世界中に知らしめたのが、1984年『You Spin Me Round(Like a Record)』であり、世界17か国で1位を記録!
売り上げは2000万枚に上った!
なぜか日本で爆発的に売れ始めたのは、1990年代になってから。
来日公演では東京ドームが超満員。
美しいピート様のお顔!に、み~んなウットリしてましたよね^^
ちなみにコブタは、世代的にデッド・オア・アライブではないのですが、初めて見た時は、ピートの後ろでドラムを叩いている、超イケメン・Steve Coy(スティーブ・コイ)にウットリでした(笑)
そして始まる整形スパイラル!
富も名声も手に入れたピートは思い切って、かねがねコンプレックスだった「ある事」を改善しようと思い立ちます。
その動機は、小学校時代までさかのぼります。
子どもの頃から綺麗な子どもだったピートですが、小学校時代のある日、クラスの女子達が「どの男の子がいいと思うか」という話をしている所に居合わせてしまいます。
ある子は、「ピート・バーンズだ」と答えますが、
他の女子達は「いや、ピートの顔は何かが惜しい・・・唇じゃないかしら?」と話しているのを聴いてしまったそう!
それ以後、元々引っ込み思案だったピート少年に、「顔にもコンプレックス」という新しいネガティブなものが加わってしまいます。
どうにも自分の顔が好きになれず、絵の具を塗りたくったり、母の化粧品を使うなどしていたが、それは段々と髪を染めたり、眉毛を剃ったりという形になってしまい、
中学に行かなくなってしまった理由も、そんなファッションだからか、学校では浮いた存在で、14歳の時、カトリックの校則にふさわしくないという理由で、校長先生に呼び出された後にやめてしまったという。
そんなピートが、富も名声も手に入れたあと、やってみたかったこととは・・・はい「整形」です。
常々コンプレックスであった、顔!
特にくちびる!
しかし、くちびるをパーフェクトにする前に、やるべき事は「まず鼻だ!」と思ったという。
当時、イギリスではデヴィッド・ボウイや、カルチャークラブなど、中性的で、群を抜いた美しさを持つ歌手が大流行!
「(彼らと対峙するためには)もっともっとカリスマ性の美しさが必要だ!!」
と思ったという。
.
傍目には充分綺麗な鼻なのに、ピートに言わせると、「男らしいゴツっとした感じを、女性的なスっとした鼻にしてみたかった」という。
すぐに別の病院に行くと、パーフェクトな鼻に手術し直してもらえたという!
そして1985年(大ヒット・You spin me roundを出した翌年ですね!)、
ついに初めての整形手術を受ける。
手術を終えて、包帯を取ると・・・スっとしているはずの鼻は、膨らんで、歪んでしまっていたという。
そうなると欲が出てきて、頬骨を少し高くしてもらう事にしたという。
しかしやってみると、「これなら元の方がましだ」と思える出来であったといい、後日、再び手術で戻してもらったという。
それからも、おでこのシワを消す、ボトックスを受けたりしたという。
そうこうしている内に、メンバー内で意見が分かれ、
4人しか居ないバンドのメンバーのうち、2人が脱退!
4人の内2人・・・ちなみに残ったのは、ドラムのスティーブ・コイ!
更に、レコード会社とも揉め、圧力からイギリス国内ではCDがなかなか発売できない状況を余儀なくされます。
(なぜか日本でだけは、いつまでも人気があったこともあり、ピートは日本でのみCDを出し続ける事ができたのです。)
ピートはバイセクシュアル!
後にわかりますが、ピートは実はバイセクシュアル。
スティーブ・コイとも恋人であったことを公表しており、
奥さまであるリンと、スティーブと3人で生活していた時期もあります。
・・・すごい組み合わせの夫婦生活!
現在では使用しないジェルを使って、
唇への施術をした結果・・・
収入も激減しますが、それでもピートの美への追求は止まらず、38歳の時、ついに念願の唇の整形を受けます。
医師によると、「新素材で、体にも吸収されないジェルで、この注射だけでぷっくりとした唇になり、大勢の人が受けている」と説明を受け、勧められます。
ところが数週間後、「体に吸収されない」という説明を受けていたはずの唇は萎み始め、医師はジェルを足してくれたという。
ところが、また萎んだため、医師は10日置きにジェルを足したという。
しかし吸収は止まらず、「でも大丈夫!安全な素材だから、5日おきに注射しましょう」と言われたといい、それを繰り返したという。
ところが、それは現在では整形手術では使う事を薦められていない「アクアミド」であったらしく、ある日ピートは口の周りに、ひどい痛みを覚え、熱が出る。
実はジェルは吸収されてしまっており、それを包み込もうとした皮膚繊維が炎症を起こし、すごい数の肉芽腫(しこり)を形成していたという。
そして始まる、
ピート・バーンズ整形スパイラル・・・
ところが痛みを伝えたところ、この悪徳医者は、肉芽腫を取り出さず、腫れて下がった唇を持ち上げる手術をしたという。
そのため、口の上部には、とんでもない縫い後が残り・・・後日、いきなり唇から膿が飛び出し、激痛となって、ICUに運ばれたという。
肉芽腫は血液を介して、全身に散らばり、腎臓の血管を詰まらせ腎不全を起こし、腸の障害や、あやうく失明しかけていた状態だった。
退院できるまで半年もかかったという。
悪徳医者には損害賠償を起こし、和解も成立しているが、
顔はもはや人前に出られるものではなかったと言います。
ピート、顔面再生手術を繰り返すハメに!
ピートは顔面再生専門の医師の居るイタリアに飛び、診察を受ける。
肉芽腫は顔全体に散ってしまっており、その手術は、皮膚をはがしてひとつひとつ捕り除くというものになったらしい。
かなりの数であったため、週に2回、計100回以上の手術を受けたという。
駄目になったうえ唇を切り取り、下唇を移植・・・上唇に定着したら、上下を切り離すという・・・縫わないけれども、その間口を開いたり閉じたり、喋ったりすらできないという、すごく地道な手術!
終わるまでに1年半かかり、手術費用は1億円にもなったという。
ひどい姿になり、落ち込むピートに、再生外科医は「あなたには歌がある」と励ましてくれたという。
ピート・バーンズ、
私生活がムチャクチャに・・・
そしてピートはこの治療に全財産を使い果たし、豪邸も手放す。
妻とは離婚。
過去のヒット作品の著作権も手放し、
そうなんです・・・整形手術より、再生手術の方がバカ高いんです・・・。
ちなみに2003年に、現在の夫・マイケルと同性愛結婚。
でも元奥さんや、Steve Coyとも一緒に買い物に行ったりするという。
ちなみにマイケルは、レストランでウェイターをしていた年下男性。
ピート・バーンズ、
起死回生のチャンスがやってくる
もはやジリ貧で、妻にも逃げられたピートに、「Big Brother」という・・・落ちぶれセレブが共同生活をする番組のプロデューサーから電話がかかってくる。
日本でいう「あの人は今」と「テラスハウス」を足して割ったような番組に、
なんと、TV局からのひやかしで呼ばれてしまう。
それをわかってはいても、またステージで歌えるなら!と、「衣装を自分で選び、歌を歌わせる事」を条件に出演を決定!
すごい決心・・・。
一念発起した勇気がすごいです!
またまたやっちゃった整形依存症の性・・・
ところが、出演が決まると、ピートはまた「華やかなステージには美しいピートでなければ!」とイジってしまう。
その時の顔がこちら
.
すっかり元の姿でなくなってしまったピートをマスコミは色々と書きたてたが、
ピートは毎回、高級リムジンで、豪華な衣装で会場に登場し、
他のマスコミからも沢山オファーが来はじめ・・・スゴい人気者に!
2006年、新たにCDをリリースしたところ、全英で5位という快挙も成し遂げた!
再びお金を持ったピート・・・そうなると、もううすうすお気づきですね!
例の、あの病気が再発する・・・。
はい、整形です。
2015年4月、例の病気と正比例するように、このタイミングで、ロンドンのアパートを家賃不払いで追い出されてしまう。
・・・家賃のお金も、整形に充ててしまったのでしょうか?
現在のピートはどんな事になっているのか?!
そして2016年2月、現在の姿はこちら。
もはやアメコミの悪役ゴム人形みたいになってしまっている。
ピートにとっては、整形とは家具やカーテンを取り換えるのと同じような感じなのだそうだ。
ピートのように、自分が醜く見えて仕方ない人を
身体醜形恐怖症(しんたい・しゅうけい・きょうふしょう)
というらしく、
更に、整形手術とは、やり始めるとどんどん「次はここが気になる」となってしまい、何度も何度も整形を繰り返す人も多々いるらしい。
現在もまだ進化中らしく、メンタルの病気ですね・・・。
こんなに美しかったピート・・・
もはやあの姿は観る事ができないのですね
(でももうそろそろ60代ですから、整形していなくても見ることはできなかったかもしれないですね^^)
前妻であるリンとの間にも子どもはいないピート・・・
傷だって痛そうだし、なんだか後味の悪い話でした。
●●● 2016年10月23日、ピート・バーンズさんがお亡くなりになりました ●●●
心より追悼すると同時に、
《ピート・バーンズ 死亡の理由や本当の原因など》の記事を
追記しておきましたので、ご覧下さい。
コメント