こんにちは、「にぎわす.com」のコブタです^^
今回の、2016年(平成28年)3月14日(月)放送の大人気教訓番組
『しくじり先生 俺みたいになるな!! 3時間SP』は、
ボクシング、JBCチャンピオン亀田 大毅選手でしたね!
![]() 典拠:しくじり先生HP |
しかしながら、『しくじり先生』以前に、亀田大毅選手は世間一般にどういう風に映っていたのでしょうか?
「ボクシングなど興味もなければ、サッパリ意味もわからん!」
という人にもガガっとわかる!
亀田大毅さんと、亀田一家の略歴から、全体像をつかんでみましょう!
『しくじり先生・亀田大毅』の放送を見逃した人はコチラ!
亀田大毅公式プロフィール
![]() 典拠:本人公式ブログ |
名前: 亀田 大毅(カメダ ダイキ)
生年月日: 1989年1月6日(27歳) 出身地: 活動分野: ボクサー 身長: 167㎝ 出身校: 天下茶屋中学 趣味: ピアノ演奏、歌、競馬。 特技: 絵を描くこと 所属ジム: 協栄ジム ⇒ 亀田ジム 所属事務所: 公式ブログ: |
なぜ亀田兄弟は、ボクシングを始めたのか?
![]() 典拠:Yahoo!知恵袋より |
左: 次男・大毅さん
真ん中: 長男・興毅さん
右: 三男・和毅さん
そもそも3人とも、ガジャガジャしたイメージが強すぎて、女性に言わせると、どれが誰だかわかっていない人がすごく多い(笑)
いじめられっ子だった長男・興毅に、父でありトレーナーである史郎さんがボクシングを強要した事から始まるらしい。
ご本人も昔・協栄ジムでプロボクサーを目指していたが、同じ時期に就いた解体業の孫請けと両立ができないとのことで、プロテストを受ける事なく断念した過去がある。
そもそも父・史郎さんは、20歳の時に、後に兄弟達の母親となる当時21歳の女性と結婚。
亀田三兄弟が有名になったのは、2000年頃。
父親であり、トレーナーであった史郎さんが、「三人全員を世界チャンピオンにさせたる!」とマスコミに公言した事から、三兄弟はマスコミに注目され、
当時まだアマチュアであった長男・興毅さんが14~5歳の頃から、密着取材などが行われ、その一風変わった指導方法や変な暴言、そしてひどく生意気な口のきき方をする子ども達に世間は注目!
≪亀田史郎さんの指導方法≫
-
「世界のジャブ」 – 一対一で行う。史郎がモリやホウキの先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。
-
「砂袋アッパー」 – 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの。
-
「畳ミット」 – サンドバッグよりも拳を鍛えられる畳を殴った方がパンチが強くなるとの理論。
-
「丸太スクワット」 – 数十キログラムの丸太を肩に担ぎスクワットを行う。バランス感覚も身に付くとされている。
-
「しごき棒」
-
「ピンポン玉よけ」 – 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。動体視力の特訓になるという。
Wikipediaより抜粋
長男・興毅さんはボクシングに集中する為、高校進学はせず、社会人に。
次ページ:あれ?マスコミに出てこない、お母さんは?