こんにちは、「にぎわす.com」のコブタです^^
今回の、2016年(平成28年)3月14日(月)放送の大人気教訓番組
『しくじり先生 俺みたいになるな!! 3時間SP』は、
元・ボクシング世界チャンピオン亀田 大毅選手でしたね!」
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お父さん・他の兄弟とともに、メディアに登場してからというもの、
そのユニークな練習方法と、
なかなかに乱暴な言動から、常に奇異の目で見られ続けた大毅選手!
そんな彼が何を反省するのかと思いますが・・・
大毅さんから色んな事実が話されて、感動の回でしたね!
で、今日はそんな「神回」を見逃してしまった人の為に、画像でわかりやすく一挙番組を振り返ってみたいと思います^^
※今回は番組の構成上、とても長いので、
ちょっとした読み物だと思ってお読みくださいね!
元世界王者・亀田 大毅の簡単プロフィール
![]() 亀田 大毅プロフィール |
亀田三兄弟の次男。
長男・興毅、
次男・大毅(ご本人)、
三男・和毅
という並び。
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史上初・三兄弟で世界チャンピオンとなった!
彼らがテレビに出てくるようになったのは、「世界チャンピオンを目指す、亀田3兄弟」として、メディアで頻繁に取り上げられるようになったまだまだ子どもの頃。
15歳の頃
![]() 15歳の頃。 |
全日本実業団ボクシング選手権大会で、バンタム級を最年少で優勝を記録。
17歳でプロテストを合格!
強気な発言で世間をにぎわせ、日本中に亀田旋風を巻き起こした。
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そして後に出てくる、紆余曲折の末、
2010年2月、WBA世界フライ級チャンピオン
2013年9月、IBF世界スーパーフライ級チャンピオン
となり、2階級制覇を成し遂げた。
そんな亀田大毅さんの世間からの注目度を物語る数字がコチラ!
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世界戦の平均視聴率・・・現代とは思えない、視聴率!
チャンネル数が少なかった頃の昭和のTV番組の数字ですよ、これ。
また2007年、世界フライ級タイトルマッチでの内藤大助選手との戦いの際は、こんな状態に!
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ちなみにこの戦いはものすごい物議とクレームを叩き出した!
その原因がコチラ!
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反則の嵐で、ものすごいバッシングを浴びた。
※ちなみにその詳細については、別記事を参照の事!
それまではヒーローの扱いだったのに・・・
世論は一転し、悪者となった。
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その事を、詫びる大毅さん。
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ではなぜ、そもそもこんな事になってしまったのか?
調子に乗りすぎて、世間から嫌われないための授業
対内藤戦の、あのボクシングとは思えない試合のそもそもは、
ご本人のこんな性格が原因となっていた。
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強ければ何をしてもいいと、分別がつかなかったという。
しかしながら、最初から調子に乗っていたわけではないらしい。
それには、大毅さんは元々、亀田家ではどうしようもない落ちこぼれであったという。
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しかしながら、一般ボクサーと比べて落ちこぼれという意味ではない。
「実は心臓がバクバクで、試合より緊張している」と話しながら、一生懸命話す、大毅さん。
目の前にAKB・横山さんというかわいい子がいるから、余計緊張するらしい(笑)
「僕は3兄弟の中で何をするにも落ちこぼれ。
何をするにも遅かった。
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それほど実力が(他の兄弟とは)違った。」
しかし、そんなコンプレックスが、後に、逆に大毅さんを調子に乗らせる原因となっていったという。
しかしながら、大毅さんのやったことは、決して許される事ではなく、ルールを破れば、必ずそれに対するしっぺ返しが来るという。
つまり、今日の先生はコチラ。
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調子に乗りすぎて、国民から嫌われちゃった先生。
大毅さんじゃなくても、ありがちな「やってはいけない調子の乗り方」
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亀田大毅先生の授業のテーマはコチラ!
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『調子に乗りすぎて、世間から嫌われない為の授業』
ちなみにここまでTVで話すのは初めてだそう。
【第一章】
落ちこぼれから調子に乗って嫌われるまで
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亀田家がヒーローから、悪役(ヒール)へ転落するまで:
~こうして僕は嫌われた~
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父・史郎さんは、プロボクサー試験は受けていない為、プロ経験はないものの、とにかくボクシング愛が溢れる人で、世界チャンピオンにしたいと、幼いころから三人にひたすらボクシングの英才教育を施した!
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父の方針で、小さい頃から近所の空手道場に通わされ、格闘技の基礎を学んだ。
兄・興毅は4歳から始めたという。
そして、兄・興毅と、大毅さんは11歳から、
弟・和毅は9歳からボクシングを始めた。
そんな三兄弟は、子どもの頃から1日の大半を修業に費やしたという。
家に帰れば、毎日泥臭いボクシングの修行を受けていたという。
買い物も、遊園地も、連れていってくれ、友達のように遊んでくれる父親だったという。
「友達もいっぱい作れ」と、外に出て遊ぶ事も別に怒られなかったというが、その代わり、いくら遅い時間になろうとも毎日の修行は行われたという。
たまに友達も一緒に修行に巻き込まれたといい、一緒に例のピンポン玉の訓練なども受けたという(笑)
なので友人達も、三兄弟の父・史郎さんを「オヤジ」と呼んでいたという・・・
これって、「修行」って言葉にかく乱されてしまうけど・・・一緒に面倒見てくれて、すごくいい近所のオッチャンやと思いません?^^
名物! 父・史郎さんのオリジナル、スパルタ修行!
名物となった、父・史郎さんの考案したオリジナルの修行の一部がコチラ!
他の修行メニューについては、別記事をどうぞ!
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なんか漫画でしか見た事のないような、強烈な訓練メニューが並んでいますが・・・
これは「子どもなので、『修行しろ』と言ってもやりたがらない。
それで響きの面白いものを父が考えて、これなら遊び感覚で、知らない内に身に付くだろう」という事であったらしい。
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この修行風景、当時TVで散々流れていましたよねw
『ペンギン』とは、バーベルの重りだけを手で握り、立っておくだけという・・・握力を鍛えるものであったらしく、キツイので3分ともたないメニューらしい。
また『ヴァンダレイ』とは、ブラジル人の元・総合格闘家・ヴァンダレイ・シウバの事で、
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ヴァンダレイ・シウバの肩の筋肉がすごいため、父・史郎さんが「ヴァンダレイ・シウバはごっつい肩をしている。こんな肩にならなアカン!」と言い出し・・・
肩のその部分を鍛える為、サンドバッグを高めに吊るして、重りを持ち、肩にかなりの負荷をかけながら上から打って行う、すごくキツイ訓練であるらしい。
ちなみにこんな練習は、ヴァンダレイ自身はやっていない(笑) 即答。
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スタジオからは「では、その名前は『ヴァンダレイ』ではなく、『史郎の予想』ではないか」との声がwww
ヴァンダレイみたいな肩になれる修行という意味だそうだ(笑)
『毒蛇メンチ』とは、本物の毒蛇を顔の前に持ってきて、ただメンチを切る(睨み付ける)だけの訓練。
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それが、何を鍛えるものなのかは、未だにわからないらしい。
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試合の役に立ったことも、これといってないらしい(笑)
ウケる!!!
三兄弟では、次男・大毅は落ちこぼれ!
やってもやっても兄弟に追いつけない・・・
同時の亀田三兄弟の1日のスケジュール
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ほぼ毎日、お父さんと一緒にこれ。
そして、大毅さんの亀田家での落ちこぼれっぷりがコチラ。
![]() 大毅先生の落ちこぼれエピソード |
砂浜ランニングをしていても、数キロ走ると、他の兄弟達から周回遅れになるという。
同じトレーニングをしていても、
「兄が出来たので、次は大毅・・・しかしできない。
そして弟、あっさりできる。」
という事がよくあったといい、自分の後にやる弟がアッサリできるので、余計怒られるという。
背格好の似ていた兄とはスパーリングで負ける相手も、「大毅となら勝てる」と平然と言い放ち、事実大毅はボロ負けするという。
そんなわけで、父からはいつも
![]() 「兄に追いつけ、弟に追いつかれるな」 |
と言い続けられたという。
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別に大毅が人より劣っていたわけでもなんでもない。
兄と弟が天才すぎたのだ。
下記はその子ども時代のエピソード。
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その相手は、すっかり自信を喪失し、ボクシングを辞めてしまったという。
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ちなみに糸東流空手の世界チャンピオンは、兄・興毅もなった事があるという。
自身は、同じ大会に出ても、1回戦で負ける始末であったという。
しかし兄弟の仲は大変良く、ひがんだり、くやしがったりということが全くなく、大好きであるという。
兄は元々・センスの塊であり、中学高校で世界レベルであったという。
末の弟は、天才で要領も良かったといい、父親の扱いもわかっていたらしく、父親転がしのうまさで言うなら、もはやキャバ嬢であったという(笑)
そして父親には段々と、「なぜおまえだけできない?!」と言われるように。
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それが一番きつかったそうだ。
自分でも一生懸命やっていたけれど、どうしてもできなかった為、余計きつかったという。
きっと父・史郎さんにとっても、大毅さんが一生懸命やっているのをわかっているからこそ、歯がゆかったのだと憶測される。
「できると信じているのに、なぜできない」という歯がゆさが、そういった言葉となっていたのだと今ならわかるが、当時は子どもであったし、わからなかった為、またキツかったという。
そして、ボクシングを始めて早々に、自身の才能の無さに気が付いたという。
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本来、「絵を描いたり、本を読んだりするのが大好き」であったといい、その事もあってなおさら「自分はボクシングに向いていない」と思ったという。
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しかしボクシングの練習はしないといけない
↓ ↓ ↓
いくら練習しても兄と弟には追いつけない。
↓ ↓ ↓
自分の才能の無さをとことん思い知らされる日々。
そしてボクシングが嫌いになるも、
辞められなかった理由があった・・・。
その結果、こんな心境に。
必然的に・・・
一度だけ、ボクシングを辞めたいと父に伝えた事もあるが、ボコボコにされたという。
大毅選手はその日、ダイエット目的でジムに来ているような人にスパーリングで負け、「そんな人に敗けていては世界チャンピオンなんてなれない。辞めるのなら早いうちに辞めよう」と思い、父・史郎さんに話を切り出した。
しかしその殴られ方は、そんなに強いものではなく、泣きながら腹をパンチされたという。
そして「これは言ってはいけない事なのだ」と思ったのだという。
しかしそんな状況でボクシングを続けていくことは、本当に苦しく、弱音を吐くこともあった。
しかしある理由からボクシングを辞めなかった。
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厳しい父ではあったが、自分にとっては大好きな父親。
「3兄弟を世界チャンピオンに」という父の夢は裏切れず、
同時に「自分が辞めたら、他の二人にも迷惑がかかってしまう」
だから続けるしかなかったという。
落ちこぼれという大きなコンプレックスを抱え、どのように道を切り開いたのでしょうか?
そんな中、兄・興毅のプロデビューが決まり、記念すべきデビュー戦でまさかの「44秒KO」という鮮烈デビューを飾り、
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TVでは亀田フィーバーが始まる。
そして一家は、みんなで東京へ引越し、世界チャンピンを目指す生活になる。
大毅さんのプロテスト
& 鮮烈KO!弁慶姿のデビュー戦
大毅さんは、「世界チャンピオンになって、ボクシングを辞めよう」という一心で頑張ります。
そしてプロテスト合格!
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兄の活躍のせいで、自分もどんどん注目される立場になっていくと、大毅さんに心境の変化が訪れる。
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これまでは、プロになれるくらいだから、ある程度は実力があったものの、それほど注目されるほど、強くなかったという。
しかしながら毎日の兄弟達との練習で痛いほど自分の実力などわかっていたという。
内心で、
「知らんで? 俺にそこまで来ないでも!
他の人、注目したらええやん!」
と思っていたという。
「もう知らん! どうにでもなれ」
というのが正直な気持ちであったという。
「兄が強いからと、弟も強い」と決まっているわけではないという。
そして、開き直った大毅さんは、父からの「兄のハードルを越えろ」という父からの教えもあり、自身のデビュー戦では「44秒以内でKO戦にする」と、豪語してしまう。
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このセリフを、今までアマチュアの戦いや、スパーリングで1回も相手を倒したことのない大毅さんが言うのだから、すごい事です!
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その発言はマスコミでも大きく取り上げられた。
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誰のことも倒したことがないのに、そんな大きな事を言い「注目されているから、みんなの期待に応えよう」とした結果だという。
中学生・高校生くらいで体も小さいし、そもそも軽量級である為、KOなどで人間は倒れない。
そもそも練習でも試合でも、相手を倒したこともない。
しかしながら、マスコミの手前あんな大きな事を言ってしまったため、家族とともに、聞いたことのない作戦を考える!
それが
『ゴングと共にこぶしを振り回す奇襲作戦』!!!
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ゴングが鳴ると、相手とグローブを合わせるか合わせないかはともかく、通常は、相手と距離を取り、様子を見る。
ところが大毅さんの場合、「兄貴の44秒を超える」と言ってしまったために、こんな奇妙な練習に臨んだという。
ゴングがなったと同時に、相手に走り寄り、ボコボコにする。
スピードなどが遅いと「今のはアカン!」と、0.1秒の違いも重要である為、何度も練習。
44秒でKOする為、自分を追い込んだ。
もちろん、自身の試合は、デビュー戦であるにも関わらず、TV中継されるというイヤ~なプレッシャー。
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そんな中、インパクトを残す為、デビュー戦ではありえない奇行でリングに上がる!
![]() 大毅選手のデビュー戦 |
兄のキャッチコピーが「浪速の闘犬」、
自身が「浪速の弁慶」であったため。
通常、デビュー戦ではガウンすら着ず、せいぜいタオルくらいで登場するところ、「日本タイトルマッチ」とか「世界チャンピオン」になってからやっと着れるようなものであるらしい。
着て悪いこともないし、着て出てくる人も居るには居るが、普通デビュー戦では着ないらしい。
父・史郎さんはもうハナから「大毅は弱い」と思っていたのか、
「お前は負けてもいい。
ただ、負けてもいいから倒れるな」
![]() 「弁慶のようにずっと立て」 |
そんな思いを込めて、「浪速乃弁慶」と付いていたのだという。
つまり亀田家ではいつも、「大毅は打たれて、負ける前提」であったのだという。
そして臨んだ試合前の控室・・・
あんなに散々奇襲作戦を練習したにも関わらず、父・史郎さんはこう言ったという。
![]() 「6ラウンドあるからゆっくり倒せ」 |
厳しい父がこんな事を言うなんて、とても驚いたが、
この一言で、一気にプレッシャーがなくなり、開き直り気持ちが楽になったという。
デビュー戦だし、負けるかもしれないというプレッシャーを、ギリギリのところでこう変えるなんて、父・史郎さんはひょっとしたらトレーナーとして一流の人だったのかもしれない。
そしてデビュー戦の結果はこうなる。
![]() デビュー戦の結果。 |
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この事で、お茶の間には、一躍「大毅さんはパンチ力が強い!」というイメージが!
これが初めて人を倒した瞬間であったという。
ここまで誰とやっても倒したことなどなかったという事が嘘のようですね!
直前に父に言われた一言で、「ゆっくりやればいいや」という、気持ちになり、落ち着いて行けたのだという。
その時、相手を倒した手の感触は、今まで小さな頃からボクシングをやってきて、一番の感触らしい感触であったという。
後にも先にも、あの感触は味わった事がないという。
それまで「落ちこぼれ」であった大毅選手を、この試合で、メディアも家族も兄弟も、一気にベタ褒めが始まる。
中でも嬉しかったのがコレ!
![]() 名前で呼んでもらえるようになった! |
今まで兄ありきだったものが、「亀田大毅」個人として扱ってもらえるようになったという。
そして調子に乗り始め、話はおかしな方向に!
その結果・・・。
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まだ少年のしたことだと思えばカワイイもんですが、
ご本人に言わせれば「たかだかデビュー戦で勝ったくらいで、ひどく調子に乗り『僕は最強! 誰にも負けない』と思うようになった」という。
そしてこの試合が、人生のターニングポイントとなっていく。
亀田先生から学ぶ、
調子に乗ってしまった時の対処法
![]() 調子に乗ってしまった時の対処法 |
亀田先生によると、調子に乗りやすい人には、傾向があるという。
それがコチラ!
![]() 調子乗りのしくじり傾向① |
普段から褒められている人より、1回の褒めの言葉を大きく受け取り易いため、こんなことになるのだという。
そのメカニズムがコチラ。
![]() 褒められ慣れていない人が調子に乗るメカニズム |
ここからどんどん調子に乗り始めた大毅さん。
そんな大毅さんがどんな行動を取り始めたのか見てみよう。
![]() ごっつ調子に乗った結果① |
一気に調子に乗った大毅さんが連発したビッグマウスの数々。
![]() 亀田大毅ビッグマウス発言集 |
昨日まで落ちこぼれだった自分がしてしまった発言だそうですが、そもそも勉強が嫌いだった大毅さんが、「覚醒」などという漢字を知っていたのでしょうか?
それには大毅さんならではの教科書がありました!
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大人気格闘技漫画『刃牙道(バキドウ)』から全て学んだのだそう。
男子ならみ~んな読んで、憧れていた『刃牙』!
強そうでかっこいい漢字の言葉がたくさん出てくるので、大毅さんにとっては『刃牙』は国語の教科書だったとか!
(「覚醒」を「難しい言葉・難しい漢字」と位置付けているところがそもそもカワイイですよね^^)
乗せられやすさが、記者の絶好のカモだった
そもそも大毅さんがあんな発言を連発するのには、大毅さんのこんな性格のせいあったそうで・・・
![]() 調子乗りのしくじり傾向② |
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自分が派手な事を言えば、記者が笑ってくれるのが快感で、取材を受けてもすぐに記者に乗せられていたという。
元々、三兄弟の中でも一番明るいタイプだった大毅さん。
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だからこそ、父親にしょっちゅう説教をくらっていたのもあるという。
当時大毅さんが、記者にまんまとハメられていたコンビネーションがコチラ!
![]() 記者からの引き出しコンビネーション |
これは、スポーツ選手より、政治家の方々がよくハメられていますよね(>_<)
最終的に、引退とか辞職に追い込まれて・・・(*_*)
大毅さんは、いつ