薬学専攻から俳優へ『ナイトライダー』デボン役・故エドワードマルヘアーについてWiki的プロフィール

こんにちは。
イギリス・ウェールズのアケミ・スミスです。

 

今回はまたまた『ナイトライダー』続編の制作決定にちなんで、小国アイルランドから大国アメリカへ渡り、1997年74歳で故人となったあの

デボン役エドワード・マルヘアー氏

についてお話します。

典拠: Behind The Voice Actors

典拠: Behind The Voice Actors

 

アメリカで活躍するイギリス人は今でこそたくさんいますが、昔はそうではなかったようです。

人種差別を乗り越えてイギリスを代表する俳優となったエドワード・マルヘアーについてご紹介していきます。

『ナイトライダー』のメインキャスト

典拠: NBC.com

典拠: NBC.com

マイケル・ナイト役デビッド・ハッセルホフ
キット声優:ウィリアム・ダニエルズ(日本語吹き替え: 野島 昭生)

デボン・マイルズ役エドワード・マルヘアー

ボニー・バーストウ役パトリシア・マクファーソン
エイプリル・カーティス役レベッカ・ホールデン

エドワード・マルヘアー:
アイルランドからイギリス、ロンドンへ。
演劇の世界にのめりこんでいく青年期。

1923年、アイルランドのコークで生まれたエドワード。

薬学の道へ進むために勉強をしていたものの演劇に目覚め、19歳にしてコークのオペラハウスで始めて舞台に立ちます。

のちアイルランドの首都ダブリンでも成功を収め、1950年にはロンドン、ダブリンの両方を拠点にリバプール・レパートリー・シアターの主要メンバーとなりました。

 

その後もロンドンの舞台で活躍する中イスラエルの新進映画に出演したり、世界に羽ばたく準備をしていきます。
『ロビン・フッドの大冒険』など、テレビ出演も始めました。

 

そして、1950年代半ばから、アメリカの映画やテレビのも出演するようになりました。

しかしその頃のアメリカは白人同士といえども人種差別があり、同じようにオーディションを受けても、アメリカ人以外に配役が回ってくることはまれでした。

ブロードウェイでもそれは同じ。
外国人にとってアメリカの芸能界はまだまだ偏見に満ちた業界でした。

 

そしてチャンスが訪れたのが1957年。
ブロードウェイにて『マイ・フェア・レディ』のヘンリー・ヒギンズ教授役に選ばれ、そのイギリス英語のアクセントでアメリカ人を魅了していくことになります。

出典:www.playbill.com

出典:www.playbill.com

50代そこそこに制定された『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授を演ずるには、30代半ばのエドワードは少し若かったようですが、彼の演技で見事にこなしたそうです。

 

『マイ・フェア・レディ』で各地に公演で回りながら、エドワードはアメリカに移住する決心をしました。
そののち、その才能を認められ、多くの舞台に立つことになります。

 

その後も活躍を続け、1964年には映画『脱走特急』であのフランク・シナトラと共演。
テレビでは『ミセスと幽霊』『探偵ハート&ハート』と人気番組の出演を続けます。

 

出典:Sydney-Morning-Herald

出典:Sydney-Morning-Herald

『ナイトラーダー』ーアメリカ人はイギリス人がお好き?デボンのアクセント、たまらない!

でも彼がお茶の間のスターになったのは、何といってもあの『ナイトライダー』

アメリカの映画やテレビに出てくるイギリス人は、デボンのようなとても頭のいい紳士的な人か、そうでなければスーパーヒーローのお話に出てくる悪役(笑)なんででしょうね?

 

今はマイケル・ケインやアントニー・ホプキンズとかがイギリスのアクセントそのままで話す役がいっぱいあるけれど、考えてみればあのデボンが今でもアメリカ人が持っているイギリス人のステレオタイプだと思いませんか?

 

いつも背広とネクタイ。

クールで決してあわてない。

どんなことが怒っても決して感情的にならない。

そして実は過去にすごいことをしてたんだけど、そんなこと自慢にもしない。

・・・これって女癖を除いたジェームズ・ボンドですね!

 

エドワードとマイケル・ナイト役のデビッド・ハッセルホフのコンビ、いいですね。
同僚なんだけど父と息子のようななんともいえない関係。

暴れ馬のようなマイケルの手綱を引いているようなデボンと、それに逆らいながらも尊敬してやまないマイケル。

実際の二人の関係もそんな風だったのかな?

出典:Knight-Rider-Polska

出典:Knight-Rider-Polska

エドワード・マルヘアー:
演劇がすべての人生・・・最後まで人を笑わせる人だった

1997年5月、5ヶ月間にわたる闘病生活の末、エドワードは肺がんで亡くなりました。
74歳。

ヘビースモーカーで、若い頃には一日5箱すっていたときもあったそうです。

共演の女優さんとうわさはあったようですが結婚せず、子供もいません。

 

読書が好きで、一日で一冊読み上げてしまうこともあるくらいで、没頭したら止まらないタイプだったんでしょうね。
でもパソコンいじりも好きだったようです。

 

最後にテレビに顔を出したのは『ベイウォッチ・ナイト』のゲスト出演。
がんが発覚される直前まで働き続けていました。

 

彼をよく知る古い友達のペギー・フォレストは、
「彼は本当にユーモアのセンスがいい人だったわ。
病気が重くなってからこん睡状態を繰り返している時だって、目が覚めたら周りを笑わす冗談ばかり言ってた。」といっています。

 

デボン・シャイアーのように最後までクールだったんですね。

出典:Knight-Rider-Polska

出典:Knight-Rider-Polska

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