こんにちは、「にぎわす.com」のコブタです^^
今回の、2016年(平成28年)6月6日(月)放送の大人気番組
『しくじり先生 俺みたいになるな!!』は、
野村宏伸先生でしたね!
野村さんといえば、1984年にデビュー作から「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞した、普通に誰でも知ってる一流の俳優さんのイメージですよ。
そんな野村さんが、どうしてしくじり先生に出てくるような事になったのでしょうか?
野村 宏伸公式プロフィール
~公式ホームページと宣材データ、出演番組より~
名前: 野村 宏伸(ノムラ ヒロノブ) 生年月日: 1965年5月3日(51歳) 出身地: 東京都 活動分野: 俳優 身長: 180㎝ 体重: 65kg 足のサイズ: 26.5cm 血液型: B型 出身校: 東京都立北高等学校 趣味: サーフィン、自転車、キャンプ、 特技: 野球、テニス、サッカー、ゴルフ 所属事務所: 野村宏伸事務所 オフィシャルサイト: 公式ブログ: Twitter: 野村宏伸(@nomnom0503) |
本日の授業:
「せっかく得た成功を無駄にして、
どん底に落ちない為の授業」
1984年、角川主催『メイン・テーマ』でデビューを飾り、「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞。
その後、1988年、田原俊彦主演の『教師びんびん物語』の田原俊彦の後輩・榎本先生役で、その甘いマスクもあり、アイドル扱いで、一躍大人気俳優になった野村さん。
ところがそれ以後、すっかりTVで見かけなくなり、実はその期間、野村さんの身にとんでもない転落が起こっていました。
そこには野村さんの「一度成功したら一生安泰と勘違いしていた」というしくじりがあったといい、割合世間一般的に普通の事で身が滅んでしまったという。
次ページ: 優雅な生い立ちから、突如一家離散で、役者に。
社長御曹司・野村さんの優雅な生い立ち
お父様は、世田谷区で化学薬品工場を経営され、社長御曹司という立場であったという野村さん。
200坪の日本家屋に、鯉の泳ぐ池があり、子どもだというのに$1=¥360の時代に海外旅行は当たり前、望んだものは何でも手に入ったという。
ところが、取引先との兼ね合いで大量の在庫を抱え、それは負債となり、会社はつぶれてしまい、一家離散に!
10ヶ月後に、父が破産手続きをして、全ての負債手続きをしてから、再び家族で暮らせるようになったという。
「もう一度、元のような生活がしたい」と家族が思っていた頃、
妹さんが「賞金500万円、推薦者にも100万円」の角川のオーディションの広告を見つけ、もはや賞金目当てで送ったところから、野村さんの俳優生活が始まります。
オーディションで、素人っぽさが受けて、23000人の中から見事主役の座をゲット!
野村さんは賞金の¥500万を、妹さんは推薦人の¥100万を無事ゲット!
ほとんど素人演技であったにも関わらず、
「素朴な青年」という設定と、
監督の演技指導もあって1985年、見事「日本アカデミー賞新人俳優賞」を受賞します。
ほんとならこれ一本でやめておくつもりだったというが、賞まで貰って、映画の世界の楽しさや面白さに魅せられ、「役者を続けてみたい」と思ったという。
翌年、角川10周年記念映画の主役に選ばれ、輝かしい俳優さん達に囲まれてはいるものの、1人ド素人の野村さんは、監督に怒鳴られ物を投げられ、毎日先輩俳優さん達に励まされながら頑張ったという。
お父様が破産してから、ここまでで4年が経過。
そして、もう1本映画を撮り終えた頃、所属していた角川が俳優事務所を辞めるという事になり、移籍を余儀なくされる。
次ページ: そして野村さんの代名詞となる、運命の役・榎本と出会う
『教師びんびん物語』出演から、
最高月収6000万に!
そして「ヒロ・プロダクション」という小さな事務所に移ったと同時に、熱血教師役の田原俊彦と一緒に『教師びんびん物語』の気弱な後輩・榎本役が舞い込む。
そして『教師びんびん物語』はその後14年間に渡り、大人気ヒットドラマとなる。
CMのオファーが殺到し、契約数は大手ばかり、10本以上にのぼることになる。
当時はバブル全盛期なので、CMが決まればすぐに契約金の4~5000万円がすぐに入ってきたという。
そして、月収は多い時で6000万以上になります。
少ない時でも2000万円は必ず入ってきていたという。
車は飽きれば1年おきに買い替え、どこに行っても女性が寄ってきて、いつもVIP扱いであったという。
その時「稼いでいるのではなく、稼がせてもらっている」と謙虚な気持ちにならなければならなかったと振り返る。
いくらでもお金が入ってくるので、野村さんの中では1000万円が10万円感覚であったという。
そして28歳にして、世田谷に2億8千万円の家を建てる。
頭金だけで1億円であったという。
当時ボロボロのアパート暮らしであった母に「もう心配しなくていい」と思ってもらう為に、色々計画を立てて、建築家に相談して建てたという。
経てたお家は、110坪、リビングだけで50畳であったという。
お母様に喜んでもらいたくて10畳の風呂なども付けたが、日々寒くて、風呂も広い為、湯がすぐ冷め、母親ともどもいつもふるえており、堪えずエアコンを付けておかなければならず、他の部屋も無駄に広かった為、光熱費だけで月8万円かかったという。
次ページ: 何が幸せ? どんどん天狗になった結果が悲惨・・・
「いい車」と「いい家」≠「本当の幸せ」
どんどん人気が増していき、一気に年収は1億円を突破。
すると、天狗になり、会社にワガママを言い始めたという。
本来男っぽい性格の榎本さん、
「ナヨナヨした榎本みたいな役はもうやらない、ハードな二枚目がやりたい」と思ったそうです。
榎本扱いされるのが嫌で、ファンから「びんびんの榎本さんですよね?」話しかけられても、「だから?」と答えていたという。
そしてどんどんドラマの作風や、「主役じゃないとイヤだ」というような役柄選びするようになり、
自分が気に入ったハードボイルドな役や二枚目の役ばかり選ぶようになったという。
すると、急に方向性を変えたもんで、テレビの前の視聴者は「榎本と全然違う!」と、ついていけなくなり視聴率は下がった。
数字を持たない俳優、注文のうるさい俳優、作品を選ぶ俳優は制作サイドからも倦厭され・・・結果、オファーが少なくなる。
しかし野村さんは、わき役、番手を下げれば、オファーなどすぐ来るとタカをくくっていたという。
34歳で結婚、パパになって一念発起。
そんなナメてオファーが激減していた野村さんですが、34歳の時、当時スタイリストをしていた方と結婚し、子ども2人に恵まれたら、そんな事も言っていられなくなる。
やっと「選んでいないで、どんな役でも受けてやっていく」といく気持ちになった頃には、舞台出身の実力派プレイヤーがどんどん登場し、野村さんの出る幕はなくなっていたという。
頼まれたらすぐに貸してしまった総額1億円、
いまだに1円も返ってきていない詐欺被害
その頃、様々な友達にお金を貸し、総額1億円にのぼるという。
そしてそれは今でも1円も返ってきていない。
「金などすぐに入ってくる」という気持ちは根強くあり、同時にケチだと思われたくなく、借用書なども書かなかったという。
同時に、父親がギャンブルでこさえた借金約1000万円も肩代わりしてしまったという。
そして、仕事が減り続けた結果、2005年頃、40歳でほぼ無職。
妻は何度も「仕事大丈夫なの?」と訊いていたというが、「大丈夫だから」と答え、強がっていたという。
仕事は月1~2回、ヘタすれば2~3ヶ月なかったといい、ほとんど家に居たという。
知人にお金を貸した事すら妻に相談も報告もせず、後でバレた時、「貸せるような立場でないのに、何の相談もなく貸してしまう夫」の野村さんに、奥さまも不信感を募らせ、
更に、生活費やローン返済に不安を覚えた奥さん。
結果、2009年離婚して、子ども2人とも離れてしまいます。
次ページ: まさかのバイト生活スタートで、中古車バイヤーに!
友人に勧められ、中古車バイヤーとしてバイト生活に
自身が子どもの頃に、家族がバラバラになった悲しい想い出があるだけに、我が子にもそんな思いをさせてしまったと、当時は涙が止まらなかったという。
仕事も家族も、すべてを失くし自暴自棄になったヒマな野村さんに、友人が気を遣い、生活費を稼ぐためにと、仕事を薦めてくれたという。
体を動かして、離婚の悲しさの気分が紛れたそうだ。
役者として活躍しているわけでもなく、中古車買付人として働く自分を、「何をしているのだろう」と思ったこともあったという。
けれども1人で色々回想するうち「もう一度這い上がろう」と思えたという。
見栄もプライドも捨てようと決意。
マイナスから這い上がるべく、「頂いたオファーはすべて受けよう」と今までの自分との決別を決意し、すべてをリセットしてゼロから頑張る為に、所属事務所を引退し、個人事務所を設立。
舞台で、役者としての腕を磨き始める。
そして運命の企画がやってくる。
番組の企画で、「『教師びんびん物語』のメンバーと再会」というのがあったという。
今までなら絶対に出ないところだが、頂いたオファーなので出てみたという。
そんな野村さんに、トシちゃんの態度は昔と変わらず、こんな言葉をくれたという。
この出演が、ドラマのプロデューサーの目に留まり、2013年にTBSドラマ『とんび』の出演が決まる(これは後に大人気感動話題ドラマとなる。)
そして別れた子ども達に初めて俳優として活躍する姿を見せてやれた事が、何よりうれしかったという。
これがきっかけで、どんどんドラマのオファーが増えてきたという。
次ページ: 最終章・野村宏伸しくじりのまとめ。
再婚したヘアメイクの美人年下嫁!
最終章:『成功』の度に『初心』に戻る事。
お金や仕事のランクばかりが気になり、初心になる事を20代のうちに忘れてしまった野村さん。
すべてを失って改めて、「仕事とは人から求められる事に最大限のパフォーマンスでこたえること」と気付いたという。
自分のしたい事ばかりするのであれば、それはただの自己満足。
誰かに求められてこそ、それが仕事になるのだという。
「失敗を恐れず、常に前を向いてがんばりましょう!僕もがんばるから」という野村さん。
昨年、自身の50歳の誕生日に、ヘアメイクアップアーティストをされていた15歳年下の奥さま・省子さんと再婚され、幸せな野村さん。
なんでもなれそめは、1年半前に友人に誘われたパーティで「なんてきれいな人なんだ」と一目ぼれし、職業を聞くや、機会を逃したくないと、すぐに仕事を発注し、会う口実を作ったという。
仕事上のパートナーとなった「しょうちゃん」に、猛アタックをし、最初のデートで結婚を前提に交際を申し込んだという。
とてもじゃないけど、35とかには見えない!
よくこんな美人が、この年まで残っていたものです!!!
お仕事も家庭もまた絶好調になってきた事ですし、またTVでの活躍を期待しています^^
これからもがんばってください♪