こんにちは、「にぎわす.com」のコブタです^^
今日は、女性児童文学作家
ビバリー・クリアリーについてです。
その前に・・・私の子供のころの話をちょっと聞いてください。
筆者の子どものころ、近所には図書館がありませんでした。
ところが10歳のころ、引っ越した街には、駅のすぐそばだというのに、利用者がとっても少なく、建物の中もなんだか押入れの中のような匂いのする、とっても素敵な図書館がありました。
私は二階の子ども館で、4つ下の妹と本を借りるのが好きでした。
妹は6歳でしたが、とても体が大きく、誰も小さな子だと思わなかったのか、
まだ字の読めない妹のために、何かを探してくれる司書さんはいませんでした。
だけど、その中にたった一人、声のガラガラの細いおばさん司書がいて、
その人だけが「●●ちゃん」といつも声をかけてくれて、妹に絵本を読んでくれました。
『11ぴきのねこ』だとか、のねずみの話だとか、そんなのでした(笑)
そして気に入った本を見つけ、
当時、図書館で配布していた、黄色の「うさこちゃん(今でいうミッフィーちゃん)」の袋に、絵本を入れてもらって、家に帰るのです。
・・・ちなみに、そこから20年後、そのおばさん司書さんは、私の上司になりました。
そうです、私は司書になりました^^
彼女は館長になっていました。
そして、翌年定年で退職され、私は彼女を見送ってから、別の図書館に移動になりました。
妹ですか?
館長の退職する日、すっかり大きくなって、「あの頃、本を読んでくださってありがとうございました」と挨拶をしに来ましたとも!
彼女も、大手・某お茶会社が経営する漫画喫茶で50人以上の部下・バイトさんを束ねる上司となって働いていましたよ。
やっぱり、大の本好きになりました。
ちなみに私がいつも夢中で読んでいたのが、英米児童文学でした。
登場人物達と、小さななぞを解いたり、冒険をしたり、不思議な世界に迷い込んだり・・・
それはそれは楽しかったですとも!
P.S.
オススメの児童文学が知りたい! などの希望があればご一報あれ!
筆者は司書じゃなくなった今も、たくさんの子供たちに読書の楽しさを伝え続けています!
中でも、ビバリー・クリアリーが大好きでした。
驚くべきことに、ビバリーは作家になる前は、図書館司書であったというから、すてきですね!
では本題に入ります(笑)
ビバリー・クリアリー プロフィール
~公式ホームページと自叙伝より~
名前: Beverly Cleary(ビバリー・クリアリー) 生まれた時の本名: 生年月日: 1916年4月12日(101歳) 出生地: アメリカ合衆国オレゴン州マクミンヴィル 活動分野: 児童文学作家、図書館司書 出身校: オフィシャルサイト: Facebook: |
ビバリー・クリアリーの生い立ちと学生生活
ビバリー・クリアリー・・・
初期のころは、「ベバリイ・クリアリー」や、「ビバリイ・クリアリー」の表記もありましたね!
ここでは、Beverlyの一般的な日本語表記:ビバリーを用いたいと思います。
本名、ビヴァリー・アトリー・ブン(旧姓)として、
1916年4月12日、米国オレゴン州のマクミンヴィルに、一人っ子の一人娘として生を受けます。
お母様は教師、お父様は農夫、という家庭だったそうで、
州内のヤンヒル郡という、図書館の無い農村で幼少期を過ごし、
キリスト教の長老会という宗派の子供として育てられます。
おかあさまは、州立図書館に本をヤンヒルまで送ってくれるよう手配し、2階のロッジルームで、図書館員のような活動をしていたという。
ビバリーが6歳の時、一家はオレゴン州ポートランドに引っ越します。
元は農夫であったお父様は、そこで新しく銀行のガードマンとして働き始めたのです。
田舎から、都会っ子になることになったビバリー・・・
そこで彼女を、たくさんのハードルが待ち受けます。
小学1年生の時、担任の教師はビバリーを「読書が困難」ということで、その子達の為のグループに入れることになります。
のちにビバリーは、
「1年生の時の私は、『青い鳥』『赤い鳥』『黒い鳥』と、3つある読書グループのうち、『黒い鳥さんグループ』に入れられていました。
黒い鳥さんグループに入れられることは、とっても不名誉なことだったし、私だって上手に読みたかったけれど、どういうわけか私にはうまくできなかったのです。」
と語っています。
おそらく今でいう、識字困難の一種もあったのではないかという指摘もあります。
そして、学校図書室の司書さんの助けで、彼女も楽しめるような本を紹介してもらうようになったビバリーは、
3年生になる頃には、読書嫌いを克服・・・
本を読むことを楽しむようになり、図書館で長い時間を過ごすようになります。
6年生になる頃には、学校の宿題で彼女が書いたエッセイを読んだ、教師から「ビバリーは、大人になったら少年少女の為の作家になるべきだ」と、太鼓判を押されます。
ちなみに、ビバリーの心にはその言葉が残り、
「いつか、かつて自分が読みたくても見つけられなかった本や、近所の面白い話、自分の知ってる面白い子達の話を書く」と決めたそう。
のちに司書になる女の子が、子供のころ司書の人に一緒に本を探してもらって、苦手を克服したなんて感動ですが、
のちに世界中の言葉に翻訳されるすばらしい作家が、子供のころ、読むのが困難だったなんてそれも意外なエピソードですね!
識字障害を克服したヘンリー・ウィンクラーも、のちにハリウッドで手形を納める大俳優となり、作家やプロデューサーとして活躍しています。
彼も子どものころ、ただの「馬鹿で、怠け者」呼ばわりされ、
「こんなんじゃ、いずれはどんな大人になるんだろうか・・・」と心配されていたわけですから、
今にして思えば、そんな周囲の大人の読みなど、ほんとに頼りにならないものですね!
現在、講師として子供たちを教えている筆者には、読み書きに困る子どもたちもいますので、とても元気の出る前例です。
そして成長したビバリーは、ポートランド市内にある、グラント・ハイスクールを卒業します。
ビバリー・クリアリー、図書館の児童図書の司書に!
オレゴン州で高校を卒業したビバリー。
少し南に下って、カリフォルニア州旧アルタ・ローマ(現在のサン・ベルナルディーノ)で、チャフィー・カレッジに進学。
そこで、児童書の図書館司書になりたいという夢を持つようになります。
カレッジで2年を過ごした後、カリフォルニア州立大学バークレー校に転入。
アメリカ国内では去年4位になった大学です。
一見、UCLAなどの方が日本では有名ですし、UCLAも今年の世界ランクでは18位と、47位の東大より、はるかに上位ですが、
UCバークレーは、カリフォルニア州の東大のようなもの!
さきほどのUCLAに受かってはいても、UCバークレーに落ちる生徒は多数!
今年の世界ランクで15位、
米国内では昨年4位の賢い大学です。
ビバリーがどれだけ賢い生徒であったか、おわかりいただけると思います。
筆者も、用事でUCバークレーを訪れたことがありますが、学食などにも馬鹿騒ぎをする生徒は見受けられませんでした(笑)
1938年、UCバークレー大学で学士号を取得したビバリー・・・
学士号の他にも、在学中に、後の旦那様となるクラレンス・クリアリーと出会います^^
素敵ですね!
ちなみに在学中の彼女は、少しでも学費を稼ぐため、お針子として縫製をしたり、
ホテルなどで客室係を務めたりと、たくさんのバイトをこなしたそう!
1939年、お次は少し北に上って、ワシントン州シアトルにある、ワシントン州立大学図書館学と情報科学で、図書館科学の分野で修士課程を修めます。
・・・すごいですね、朗読すらまともにできず、読書の苦手な子どものグループに入れられていたビバリーが・・・
情報やら図書やらの分野で大学院を卒業した状態になるだなんて!
ちょっとやそっと読書が苦手な子も、こういった例があると、とても元気が出ますね!
そして同州ヤキーマにある図書館で、児童司書として活躍し始めます。
情熱的! 親に反対されて駆け落ちしたビバリー・クリアリー!
修士課程も修了ということで、日本でいえば大学院を修了し、
図書館員として就職したビバリー・・・。
彼氏であったクラレンス・クリアリー氏とはどうなったかと言いますと、
彼がローマカトリック系のクリスチャンであったという事が理由で、クラレンス氏との仲を、ビバリーのご両親はなかなか認めてくれず・・・
なんと二人は駆け落ち!
翌1940年、やっと結婚します。
現在では、宗教自体の違いはあっても、宗派の違いで結婚できないなんて、ちょっと珍しくなってきていますよね。
二人は、第二次世界大戦が終わった後、やっとカリフォルニア州モントレー郡のカーメルに落ち着くことできます。
激動の時代ですね・・・。
ついに始まる、ビバリー・クリアリー、作家への歩み
話は少し戻って、1939年、
ビバリーは大学卒業後、ワシントン州ヤキーマで、児童書の図書館員として働いた後、
今度はカリフォルニア州オークランドで、軍病院の図書館司書として働き始めます。
そして1942年、
趣味でもなんでもなく、突如、本職の児童書作家として執筆活動を始めます。
それは、児童書司書として、多くの子ども達と接していた頃・・・
「これだ!」と思う本をなかなか見つけられない、年若き少年少女たちに自分を重ねます。
そして司書として、彼らのお手伝いをしようとも、
彼らのハートにヒットするような本はなかなか見つけることができなかったという経験をします。
仕事で数年間、読み聞かせやストーリーテリングを行う中、若い彼らに関係がありそうで、興味を持って貰えそうな本を、自分自身が書こう、と決意します。
後にビバリーは、「使命のようなものを感じたのです」と語っている。
「子ども達にとって、文学の質や司書というのは、彼らが本を読み、ふさわしい本を見つけるのに、とても重要なことですから」と。
そして8年後の1950年、記念すべき、ビバリーの処女作『がんばれヘンリーくん(原題: Henry Huggins)』は、すぐに出版社に認められ、
後の『ヘンリーくんとアバラー(原題: Henry, his dog Ribsy)』シリーズの第一作目となります。
そして回を重ねるにつれ、これが主人公:ヘンリー君のおうちの近所に住む、ビーザスと妹のラモーナといったキャラクターを生み出してゆきます。
読まれたことがある方ならご存じかもしれませんが、
戦後すぐのアメリカの子供たちが目に浮かぶような、とてもイキイキとした、いかにも近所に住んでいそうな普通のキャラクター達は、
実はビバリー自身の子供時代の経験をベースに生み出された人々なのだそう!
彼女が生まれ育った場所の近所の人々や、
それに成人して司書になってから出会った人々も含まれているそうで、
子ども達から「クリアリーさんのアイデアはどこから出るのか?」と質問された際には、
「自分の経験や、周りの世界から。」
それに、後に説明しますが、ビバリーの誕生日が制定された
「「DEAR(読書の会みたいなもの)」の活動に参加した子供たちから受け取った手紙からも、触発されて生まれてくる」
と、答えています。
ビバリー・クリアリーの作家としての活動
そしてビバリー・クリアリーのお話の中心と言っても過言ではない、クインビー姉妹・・・ビーザスとラモーナのお話は、1955年に出版されます。
しかしながら、当初出版社は、彼女に「幼稚園に通う子供たちのお話を書いてくれ」と注文を出しますが、ビバリーは難色を示したといいます。
なぜなら、ビバリー自身が、幼稚園や保育所の類には通ったことがなく、経験がなかった為だそうですが、
後に、ビバリー自身が双子を出産してからは、その意識は変わってしまったのだそう。
ちなみに、ビバリーから影響を受けた作家は数多く、
ローリー・ハルツ・アンダーソンや、
少女たちの秘密の話を多く書く、児童文学作家:ジュディ=ブルーム、
ローレン・マイラクル、
小学校教師から児童文学作家になった、ジョン・シェスカなどがいる。
『ヘンリーくん』『ラモーナ』など執筆・著書・作品一覧
では、一気にいきましょう!
ここでは、最初にアメリカで出版された順に、記載させていただきます。
日本で発刊されていないものに関しては、簡単な説明を載せておきました。
猛烈な勢いで、適当に訳しているため ←コラ! タイトルと、中身がズレていたら教えてね!
「それぞれの子ども達のために、ぴったりの本が必要」と思って始めた、ビバリーの作家活動なだけに、
ABCに親しむための本や、交通ルールを守らないと危ないよ!と言ったような、教訓本もありますので、子どもたちの英会話学習にもいいかもしれませんね!
1950年 『がんばれヘンリーくん(原題:Henry Huggins)』
1951年 『ひとりっ子エレンと親友(原題:Ellen Tebbits)』
エレンは8歳の一人っ子。イタズラクラスメイトのオーティスの事で、大ゲンカをしたオースティンとエレンは、誤解が解けて、大親友になります。
1952年 『ヘンリーくんとビーザス(原題:Henry and Beezus)』
1953年 『いたずらっ子オーチス(原題:Otis Spofford)』
1954年 『ヘンリーくんとアバラー(原題:Henry and Ribsy)』
1955年 『ビーザスといたずらラモーナ(原題:Beezus and Ramona)』
1956年 『フィフティーン(原題:Fifteen)』
ジェーン・パーディは、高校2年生。ハンサムで人気者のスタン・クランダルに初めてデートに誘われて・・・
記念すべき初恋シリーズ第1弾です。
1957年 『ヘンリーくんと新聞配達(原題:Henry and the Paper Route)』
1958年 『原題:The Luckiest Girl』
シェリーは、いつも空想の世界に居る女の子! そんな彼女が、バスケットボールチームの人気者に、ニコリと微笑まれたとたん、初恋に落ちてしまいます。
1959年 『原題:Jean and Johnny』
15歳のジーンは、ハンサムなジョニーを見かけるとどうにも調子が狂ってしまいます。なんとかして勇気を振り絞り、ジョニーをダンスに誘います。
自身が無さすぎる女の子と、ありすぎる男の子の、面白くてちょっと感動的な物語!
ビバリー・クリアリーの初恋シリーズ第3弾です。
1960年 『原題:The Hullabaloo ABC』
牧の朝はとってもやかましい。ロバはいななき、豚はおののき、牛は嘆いている。このアルファベットの本には、子供や馬小屋からたくさんの騒々しい言葉を聴くことと、テッド・ランドのいきいきとした挿絵で、すてきな言葉であふれかえっています。
ABCを覚えてきた、小さな読書家さんにオススメ!
1960年 『原題:The Real Hole』
4歳の、よく似ているようでまったく違う、ふたごちゃんが掘った穴をその後、どうすべきかで、お父さんに助けてもらうことになります。
1961年 『原題:Beaver and Wally』
テレビシリーズ『原題:Leave it to Beaver』を基本とした本。
同番組の売り込みの一環か、ドラマの内容を本にしてくれと頼まれた仕事を、ビバリー・クリアリーが引き受けたという珍しいケース。
後に、ビバリー、「あれは、たいくつな仕事だった」とコメントしている・・・
すごい、勇気あるコメント!
こちらがドラマ『原題:Leave it to Beaver』[英語・動画]
回を重ねるごとに、彼らが成長していくのも見もの!
今では70前後のすてきな紳士!
1961年 『原題:Here’s Beaver!』
こちらも、テレビシリーズ『原題:Leave it to Beaver』を基本とした本。
1961年 『原題:Two Dog Biscuites』
ビバリーによる双子絵本シリーズのひとつ。
1961年 『原題:Emily’s Runaway Imagination』
ビバリーが描く、その時代を現したフィクションのひとつ。
20世紀初頭、世には自動車というものが発明された頃、オレゴン州の農村に暮らすエミリーはそのすごい想像力から、あらゆるイタズラを引き起こします。
豚に腐って発酵しかけたリンゴを与えて酔わせたり、馬に歯のホワイトニングをしてみたり、幽霊を見てしまったと思い込み恐れおののいてみたり・・・。
そんな彼女が、街に公共図書館を作るため努力を始めます。
ビバリーの子供時代でしょ