こんにちは、「にぎわす.com」の Satokoです^^
今回は海外ドラマ
『シャーロック・ホームズの冒険』
(原題: The Adventures of Sherlock Holmes)
などに出演した名俳優!
シャーロック・ホームズ役
ジェレミー・ブレット
をピックアップしてみたいと思います!
病気と闘いながら演技に全身全霊を注いだ、
まさに「ザ・俳優」と言えるのではないでしょうか。
『シャーロック・ホームズの冒険』 メイン出演キャスト
シャーロック・ホームズ役ジェレミー・ブレット
・・・(日本語吹き替え: 露口 茂)
ワトソン(13話目まで)役デビッド・バーク
・・・(声優: 長門 裕之)
ワトソン(14話目から)役エドワード・ハードウィック
・・・(声: 福田 豊土)
ジェレミー・ブレット・プロフィール
名前: Jeremy Brett(ジェレミー・ブレット)
本名:
Peter Jeremy William Huggins
(ピーター・ジェレミー・ウィリアム・ハギンズ)
生年月日: 1933年11月3日
出生地: 英イングランド・ウォリックシャー州バークスウェル
没年月日: 1995年9月12日(享年61歳)
死没地: 英イングランド・ロンドン・クラップハム
活動分野: 俳優、
出身校:
セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ
(現ロイヤル・セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ)
身長: 185 ㎝
趣味: 乗馬、ピアノ
特技: アーチェリー
超金持ちのお家柄! 歌が得意で俳優を目指す! ジェレミー・ブレットの生い立ちと学生生活
ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett/本名:Peter Jeremy William Huggins)は1933年11月3日、
英イングランド・ウォリックシャー州(現ウェスト・ミッドランド州)バークスウェルに生まれました。
お父さんは陸軍中佐、
お母さんはチョコレートで有名なイギリスのお菓子メーカー、キャドバリー社の経営一族出身という
裕福な家庭で育ちました。
お兄さんが3人います。
大きなお屋敷には使用人が何人もいて、
第2次世界大戦中には家を失った人を42人もかくまってあげたそうです。
どんだけ広いんだか!
子供の頃は近くの映画館に自転車で週4回通うほど映画が好きで、
村の劇にも参加します。
学校はイギリスの超一流名門校イートンカレッジに進学。
趣味はアーチェリーと乗馬でした。
お母さんがアーチェリーの名手で、家族でアーチェリークラブに所属。
家では馬やロバを飼っていて、
「騎手になりたい!」と思った時期もあったそうですよ。
やっぱりかなりのお坊ちゃまですね。
そんなジェレミーには生まれつき「R」が上手く発音できない発音障害があり、
10代の時に手術を受けて矯正しました。
文字の読み書きが困難な「ディスレクシア」でもあり、
勉強にも苦労したようです。
それでもイートンでは歌の才能を発揮、合唱部で活躍します。
イートン卒業後はロンドンのセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで演劇を学び、1954年に卒業。
卒業と同時に舞台デビューが決まりますが、
ここである問題が持ち上がります。
「ハギンズ(ジェレミーの本名)」名を芸名に使うことを、
お父さんが許してくれなかったのです。
「俳優なんていかがわしい、一族の名が汚れる」
と考えたそうですよ…
厳しい!
でも勘当もしてないし、息子の舞台を何度も観に行ってるし、
お父さんなりの「喝」だったのかもしれませんね。
とにかく困ったジェレミーは、スーツのラベルに書いてあった店名
「Brett & Co.」の「Brett」
を拝借することに。
そんな感じで決めちゃうんだ(笑)。
こうして名俳優「ジェレミー・ブレット」が誕生しました!
映画『マイ・フェア・レディ』や舞台『ドラキュラ』など若い頃もかっこいい! ジェレミー・ブレットのデビューと過去出演作品
舞台デビューは1954年。
劇場をアポなし訪問してオーディションにこぎつけ、
役をゲットしたそうです。
行動力ある!
同年、映画『魔人スヴェンガリ』(原題:Svengali)、
BBCのテレビシリーズ『Sunday Night Theatre』(原題)にも出演、
スクリーンデビューも果たします。
1961年、27歳の時には
舞台『ハムレット』で主役のハムレットを好演。
『ハムレット』を観たお父さんはジェレミーの演技にいたく感動し、
「ハギンズ名を使ってもいい!」
とまで言ってくれたそうです。
でももう「ジェレミー・ブレット」で名が通ってたし、
時すでに遅し…
厳格なお父さんですが、息子を応援し続けてたことがよくわかります。
1964年には大ヒット映画『マイ・フェア・レディ』にフレディ役で出演。
得意の歌も披露しますが、
実は吹き替えだったことを後年暴露しました。
ジェレミーも十分歌が上手いだけに悔しかったんじゃないかな。
しかし若い頃のジェレミー、本当にかっこいい!
1978年には舞台『ドラキュラ』の米国ツアーでドラキュラ役に抜擢され、
デンバー、ロサンゼルス、サンディエゴ、サンフランシスコ、シカゴを回ります。
ジェレミー演じたエレガントでセクシーなドラキュラは話題をさらい、
舞台を観に来た女性の半分が
「このドラキュラなら襲われてもいい!」
と思うほど魅力的だったとか。
このかっこよさならわかる気がします。
そしてなんと!
1980年の舞台『シャーロック・ホームズ 血の十字架』(原題:Crucifer of Blood)では
ワトソン役を演じたんですよ!
ホームズになる前にワトソンだったんだ!
あるインタビューでこんなことを言ってます。
「(ワトソンを演じたことは)とても楽しかった。
テレビシリーズが決まった時、
ホームズ役にどうアプローチすれば良いかも教えてくれた。この2人の深い結びつきを知ることができたからね。」
引用元:Brettish.com
「暖かく優しいワトソンの方が自分っぽい」とも話してますよ。
インタビュー映像がいくつか残ってるんですが、
どれもユーモアたっぷりに話しているし、
実際は面白い人だったんでしょうね。
そして1984年、テレビシリーズ『シャーロック・ホームズの冒険』が始まります。
「はまり役」と言われたホームズ役ですが、
演じるのは簡単なことではありませんでした。
第1・2シーズンの撮影は1983年から1985年まで続き、
その間は週末でさえホテルの部屋に閉じこもって台本と格闘。
1日の終わりに1杯楽しんでいたシャンパンが、
気がつくと1本飲み干すようになったそうです。
ホームズ役の重圧もありますが、他にも理由が。
それは…
妻との別れ、そして精神疾患との闘い ジェレミー・ブレットのプライベート
最愛の妻、ジョアン・ウィルソンの癌でした。
演劇プロデューサーのジョアンとジェレミーは1976年に結婚。
お互い再婚でした。
ジェレミーは1958年、25歳で女優のアンナ・マッセイと結婚し、
翌1959年に長男のデイビッドが生まれましたが
1962年に離婚。
ジョアンにも2人の子供がいました。
ジェレミーは子供思いで、結果的に3人の子供の父親になったことは
「もったいないくらいラッキーなこと」
だと話しています。
話を元に戻しましょう。
ジョアンの癌が判明したのは第1・2シーズン撮影中のことでした。
妻のそばにいたいジェレミーでしたがイギリスでの撮影は多忙を極め、
ジョアンのいるアメリカに戻ることができません。
そんな状況に、無茶苦茶いら立ってたんです。
でも、やっとアメリカに戻って放射線治療に付き添えるようになっても、
妻の過酷な治療現場を目の当たりに気絶してしまったそうです。
繊細なんですね。
カツラをつけてパーティーに出るなど一時期は回復したジョアンですが、
1985年7月4日にあの世へ旅立ちました。
53歳でした。
ジョアンはジェレミーより2歳年上で、
なんと誕生日が同じでした。
それだけ運命的な相手だったのかな。
「史上最高の妻」を失ったジェレミーでしたが、
当時出演中だった舞台を最後までやり切り、
『シャーロック・ホームズの冒険』第3シリーズの撮影にも復帰します。
悲しみを乗り越えるため、仕事に没頭しようとしたんです。
でもそれは間違いでした。
ハイテンションが続き、ジェレミー曰く「脳をコントロールできない」状態に。
これは変だと感じた家族がジェレミーを病院に連れて行くと、
そのまま2ヶ月入院することに。
ジェレミーは「双極性障害」だと診断されました。
ずっと前から患っていたのに「俳優気質」で片付けられてたんです。
ジョアンの死を乗り越えようと「ボロボロだったのにフル回転してた」と振り返ってるので、
全てが爆発してしまったんでしょうね。
症状を緩和するためにリチウム錠が処方されましたが、
これが新たな問題を引き起こしてしまいます。
それは何かと言うと…
酸素マスク姿で撮影した『シャーロック・ホームズの冒険』第6シーズン! ジェレミー・ブレット最後の作品と死因
薬の副作用で体内に水分が溜まり、太ってしまったのです。
その影響は演技にも現われ、
ジェレミーは素早い動きができなくなっていきました。
その上、心臓が人より2倍大きい疾患も患っていたし、
1日60本以上もタバコを吸うヘビースモーカー。
健康状態はどんどん悪化し、
1993年に撮影した第6シーズンは、車椅子・酸素マスク姿で臨んだそうです。
壮絶だ。
ジェレミーがホームズを演じたのは、
第6シリーズ最終話『ボール箱』(原題:The Cardboard Box)が最後になりました。
「ホームズのストーリーで一番心に残ることは?」というインタビューに、
ジェレミーはこう答えています。
「この物語は、今の時代には無い『男の友情』を描いた
素晴らしいエッセーなんだ。男同士の友情なんて、今や地に落ちてしまっただろ。
ホームズとワトソンの魅力の1つは、
このプラトニックな友情を分かち合っていることなんだ。」引用元:Hello! Magazine
ジェレミーとワトソン演じたエドワード・ハードウィックは、
実生活でも親交が深かったそうです。
「男の友情」を分かち合える、
素敵な仲間に囲まれてたんですね。
そして1995年9月12日、ジェレミーはロンドンの自宅で息を引き取りました。
死因は心不全。
まだ61歳でした。
ジェレミー最後の作品となった映画『モル・フランダース』は、ジェレミーが亡くなった後、1996年に公開されました。
ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』のクレア役で有名な
ロビン・ライト主演の映画でした。
ジェレミーが亡くなってから今年で26年経ちますが、
彼のホームズは今でも私たちを魅了し続けています。
稀代の名俳優ジェレミー、素敵な演技をありがとう!
そしてどうか、安らかにお眠りください。
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